【5】花の魅力、私が花を通してみるもの(ふたつめ)

 

ふたつめ。

 

心象風景を思い出すものとしての花ということ。
ひとつめにつながることも多いのですが…とても個人的なことですが、幼少期から見る心象風景があります。
白く霧に包まれたような、温かくも冷たくもない場所。
全てがあり何もない、守られているイメージ。
そこに花を供えたいという思いがあるんです。

 

 

花って、死者を葬る場でも、結婚などのお祝いの場でも使われますよね。
人間の喜び・悲しみ、どちらの場にも寄り添える存在。
そういうところにひかれてて。
そして、その存在のありようが心象風景の感覚と近いように感じるんです。

私の心象風景の“象徴”としての花の存在、というか…そんな感じ。

 

 

本を読んだり調べたりすると、どうやらこの感覚は瞑想や祈りの世界観と近いようです。
であるならば、私の描く感覚のイメージは、聖母マリア像や仏画などの宗教画に近いものがあるのかもしれません。

 

 

こうした 擬人化、心象風景、ふたつの視点から見ていくにつれ、「死」だけだった感覚が、「生」へとシフトしていきます。

このシフト期、生死が混在するあたりが、ちょうどこの作品(2013年制作のサクラソウ)です。
植え替えで引っこ抜かれて、捨てられる、いわば死の直前の子。
けれど、抜きたての湿った土にまみれた根っこは生きていた証であり、生命感を感じさせるもの。
生と死を同時に感じるものとして描きました。

 

 

こうして、「死」から「生」の感覚をさらに深く見ていくと、当たり前ですが「生」は「死」につながっていきます。そうすると「死→生」「生→死」「死→生」…とつながっていき、これらはもはや対極にある独立したふたつのものではなく、繰り返すもの、つながるもの、循環するものという感覚が強くなりました。
全てはひとつで、円、環のようにつながるという考えです。

 

(ここで、最初に燃やしたのはシロツメクサの花“輪”ということにつながって、面白かったりします。最初から答え出てたんだね、という。)

 

 

花の姿を通して、「死→生」、「生→死」、そしてつながるひとつの環という感覚に至りました。
この感覚が腑に落ちるまで10年かかりました。
長いような短いような…けれど、作品についての時間の進み方って、こんなものかもしれませんね。

 

最近の絵は、花を燃やすことはなく、感情的にならず淡々と描くことが多いです。


 

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コメント: 1
  • #1

    かとか (月曜日, 09 3月 2020 14:50)

    「花の魅力、私が花を通してみるもの(ふたつめ)⌋

    その後の作品は、読んだ本を、1ページづつ、灰で塗りつぶしていくの繰り返し、
    出来たのは、
    読むことが出来ない本。
    それは本ですか?
    形だけが残った物。

    自分は、どこにあるの?

    そんなことしてました(゜-゜)(。_。)